「さて……と」
俺は息をついてベッドの向こうを見やる。抑えた色調でまとめた部屋に、モノクロームの静止画(スティール)から抜け出してきたようなモノトーンの姿があった。白い毛並みに浮かびあがるグレーと黒の斑点、がっしりした脚、太くて長い尻尾。
そいつは俺の視線に気づいて目を合わせ、首をかしげてみせた。やれやれだ。
「何か用? レイン」
「別に」
俺は簡潔に応える。ユキヒョウのスノウ、もちろん本物ではなく、モンデンキント社製のコンパニオン・アニマル・ロボットだ。そいつが、俺の暮らしに新しく加わった住人だった。
祖父が亡くなった報せは母から告げられた。
いつものように夜明けの時間のセントラルパークでランニングを済ませて帰ってきたところに連絡が入った。死因は老衰、105才、大往生だ。
「帰ってこられる? お葬式に出てほしいの。遺産の話もすることになると思うわ」
手首のリストレットから飛ばした通信で壁に映し出される立体映像、その中で母が話す。疲れているようだ。
遺産? 父も父なら祖父も祖父で、実直な公務員暮らしだった。遊興、浪費なんて概念は頭にないだろうから、給料や退職金をそれなりに貯えていてもおかしくはない。でも、俺は何のためだか断りを入れた。
「俺、金には困ってないんだけど」
「そうね、レインの活躍は私たちも知ってるわ。でもお義父さん(おとうさん)はレインのことをずっと気に掛けていたし、最後のお別れをしてほしいの。少し仕事を休めない?」
仕事を休む。フリーランスの舞台俳優という仕事で、その気になれば自分の都合でスケジュールを動かせるだけのポジションに俺はいる。そのことに不満はない。仕事に穴を空ける気はない。舞台への情熱も変わっていないつもりだ。でも、葬式で仕事を休む、それはちょうどいい言い訳に思えた。
スーツケースに荷物をまとめながら、日が昇り街が動き出す時間を見計らってアイリーンに連絡を入れた。今関わっているプロジェクトのプロデューサーで演出家だ。野心的な作風で、冒険心を持ち、過去の作品への造詣も深い。俺は彼女の仕事に信頼を置いている。
「ご愁傷様、でも大往生ね」
「まあそういうこと。それでちょっと練習を休もうと思うんだ。といっても一週間ぐらいかな」
「あなたの姿を見られないと若手が淋しがるわね、でもいいんじゃない、ご家族に会ってくるのも」
「ありがとう。あんまり年寄り扱いはしないでほしいけどね」
「それでさ、こんなときにこの話をするのもなんだけど、演劇学校の講師の話、往復の列車の中ででもちらっと考えておいてくれないかな」
俺はため息をついた。
「その話なら、前にも言ったけど、俺は人に教えるより自分が演じる方が向いているって思うよ。現場を離れたくない」
「それもそうなんだけどね、演劇学校のスタジオだってりっぱな現場よ、妖精王オーベロン」
次の日、葬儀は教会でしめやかに行われた。近所の人たちや親戚縁者に加えて、公務員時代の後輩たちが参列し、祖父の人柄や生前に得ていた人望を偲ばせた。
遺体は遺言でダイヤモンド葬にされるという。故人の遺体の炭素成分を超高圧で圧縮し、ダイヤモンドを生成する。そうして得られる星屑のような小さなダイヤモンドの結晶を、遺族が分けあい、アクセサリーに加工して受け継ぐ。話には何度も聞いたことがあったけれど、当事者になるのは俺は初めてだ。実直そのものだと思っていた祖父が、その方法を言い遺していたことが意外だった。
「男性の方だと、台座をつけてピアスや指環になさる方が多いですね。指環だと内側に故人のお名前や思い出のお言葉を刻印するんです。石の下にデータチップをはめ込む方もいらっしゃいます。もちろん、お好みに応じてお造りします」
遺体を納めてダイヤモンドが作られるまでの間、黒いスーツに白い手袋をはめた弔事専門のジュエリーメイカーが説明する。天然の宝石は環境保護を理由に採掘を禁止されているけれど、空気中の二酸化炭素からでもダイヤモンドを生成できる昨今、宝石の値段は21世紀に比べればガラスのビーズ同然だ。でもそこに美しさを見出す人の営みはあまり変わらない。
ピアスも指環も俺はできるけれど、舞台に上がるときは役に合わせてたいてい外す。他のアイテムのほうがいいかもしれない。聞いてみる。
「ひとまず石のままもらって、自分でどこかに加工を依頼してもいい?」
「お住まいはどちらですか?」
俺はニューヨークのアパートメントのざっとした住所を伝えた。
「それでしたら、加工のできる宝石店が幾つかございます。お渡しする石が正統な手続きで生成され分配されたものであるという証明書をお作りしますので、それをお持ちになって加工をご依頼いただければと」
そのジュエリーメイカーは名刺のデータを俺のリストレットに飛ばし、証明書が用意でき次第連絡すると言った。
リストレットを操作し映像(ヴィジョン)を立ち上げてデータを見る、そこには、広がる銀河を背景に、会社名と、こんな言葉がまず書かれていた。
―――星のかけらより生まれし我ら、星のかけらに還る―――
「俺がじいちゃんから引き継げるものってこれぐらいだよね?」
一通りの葬儀を終え喪服から着替え、祖父が両親と暮らしていた家のダイニングキッチンに集まった。大きなテーブルの、祖父の席にはなぜか俺が座ることになった。
俺は渡されたダイヤモンドの粒の包みをポケットにしまい、親父と母さんに聞いてみた。そう、遺産相続と言っても、じいちゃんの場合は俺の出番はまだのはずだ。
「まあそうなんだけどね、遺言がまだあるからそれは法的にクリアーしないと」
親父がなぜか口ごもりながら言う。
「遺言? まだあるの? 俺もその遺言書見たいんだけど」
と、言いながら、おれはダイニングキッチンの隅でじっとりとした視線をこちらに送っている存在が気になっていた。
「書類じゃないんだ」
そいつは横たわり、こちらを見ている。モノトーンの毛皮、雪空の色の透き通る瞳、ぶっとい4本の足、太くて長い尻尾。その姿は人に威圧感を与えないために、成獣ではなく生後6ヶ月程度の愛らしさの残る姿に造られているという。それでも大型犬ぐらいの大きさはある。俺が子どもの頃、祖父が遊びに来るたびに連れてきていた、そして幼い俺はおびえて泣いた、ユキヒョウを象った(かたどった)コンパニオン・アニマル・ロボットだ。人呼んで“おともだち”、名前はスノウ。
「ケン、もうしゃべってもいい?」
思いがけず少年の声がする。スノウだった。
「ああ、待たせたね」
親父は目元にしわを作って相好を崩す。それがなぜか俺は気に障った。
それは庭のハルニレの木の下にあるベンチにじいちゃんと親父が2人で座っている立体映像だった。
「スノウ、写ってるかい?」
じいちゃんが言う。映像には出てこないスノウの声が答える。
「録画モードに入っているよ。大丈夫!」
木もれ日の中で目を細めながら、じいちゃんは録画当日であろう日付を言った。今から1年前だ。続けて親父に言う、
「私の命が終わるときが来たら、レインにスノウの新しいオーナーになってもらおうと思うんだけど、どうかな?」
親父は答える。
「もちろん、それでいいと思うよ」
「ケンはユーザーで、規約通りならケンにもオーナーになる権利がある、それをすっ飛ばすことになるけれどかまわないかい?」
「ぼくは充分、スノウとの生活を楽しんだよ。ユーザーとしてだけど。レインが引き継ぐのがいちばんいいとぼくも思う」
じいちゃんはカメラ(というかスノウ)をまっすぐに見て言う。とても元気そうだ。
「スノウ、お前の相続の手続のために法的に必要なことは全部言えているかな?」
「うーん、ぼくのオーナーにレインがなるってところはクリアーできてるよ。あとはヒロとケンの個人データの扱いかな。レインがアクセスできる範囲を指定してほしいな。それは、ヒロも、ケンも、二人とも」
ヒロというのがじいちゃんのファーストネームだ。
じいちゃんはほほえむ。
「ああ、それがあったね。私といっしょにスノウが見てきた映像なら全部アクセスしていいよ。どんな会話をして楽しんでいたか、それをレインが知りたがったら教えてやってくれ。ケンはどうする?」
親父は困ったように笑う。
「ぼくが4才の時からのデータがあるんだよね…あんまり見てほしくないというか、正直恥ずかしいな。でも、レインとそんな話をするチャンスはあまりなさそうだから、ぼくも全部アクセスOKにしようかな。スノウ、アクセス範囲は後で変更できるの?」
スノウの声が答える。
「二人とも、何回でも変更できるよ。オーナーがレインに変わった後は、レインの同意が必要だけど」
「その時には私はこの世にいないよ」
じいちゃんは笑った。
「ヒロ、そんなことで笑わないでほしいな。天国に行くのはずっと先だよ」
スノウの声は悲しそうだった。
「それもそうだ! 世界一長生きして、年上の素敵な人と恋をするんだった!」
少し間を置いて親父が口をはさむ。
「父さん、さっき教わった、ちゃんとした言い方をしておこうよ」
「ああ、そうだったそうだった。ケンもスノウを見て」
じいちゃんはまじめな顔をする。
「私、ヒロ・アンダーソンは、死後に、孫のレイン・アンダーソンにスノウのオーナー資格を譲ることを遺言します。私の息子であり現在のユーザーであるケンの同意も得ています。この映像をもって、スノウの相続に関する正式な遺言とします。…スノウ、これでいいかい?」
「オッケー」
「よし! こっちへおいで、スノウ」
その立体映像はそこで終わっていた。
リビングルームのスクリーンが白い布に戻る。
「今の映像が別のカメラで撮影してインポートされたものではないこと、正式に弊社のコンパニオン・アニマル・ロボットが撮影したものであること、ヒロ・アンダーソン氏とケン・アンダーソン氏の映像がCGではなく実在のお二人を撮影したものであることを確認いたしました」
そう言ったのは、モンデンキント社から来た社員だった。再生中はずっとリストレットから映像(ヴィジョン)のキーボードを展開し、モニターのゴーグルをかけて手を動かし続けていた。名刺のデータによると技術と法務の両方を手がけている、つまりは今回みたいな相続のケースの担当者ということだろう。
モンデンキント社にじいちゃんの死去を伝えて相続の話を問い合わせると、次の日に社員が訪ねてくると言った。映像が本物か、法的にクリアーする問題はないか、同意はあるのか、といった話は面子(めんつ)がそろっているときにぜひ対面でしたい、と言う。FtFCばんざいだ、なんてふざけるまでもなく、その方が早くて確実だと俺でも思う。ということは、FtFCが広まる前は、こんな話もオンラインでやっていたのか?
そして、今の時点では唯一のユーザーである親父に言う。
「この映像の後に撮影された遺言がないかスノウに聞いてもらえませんか、私にはアクセス権限がないので」
うわさには聞いたことがあったけれど、“おともだち”の個人データと持ち主(オーナー、ユーザー問わず)を尊重するモンデンキント社の姿勢は本物だった。
「ああ、そうですね。スノウ、さっきの映像の後に撮った遺言はある?」
「ないよ。クラウドにも上げてないし、ぼくの機密領域にもない」
スノウは即答する。“おともだち”がないといったら本当にないものとしてみんなそれを信用するらしい。それもそうだ、確かにコンパニオン・アニマル・ロボットはうそをつかない。
「ではレインさんにお伺いします、弊社のコンパニオン・アニマル・ロボット、ユキヒョウのスノウを相続して新しいオーナーになるご意思はおありですか?」
スノウは幼かった俺が泣き出すとあわててじいちゃんに報告に行っていた。その頃は、その様子が得意気(とくいげ)に見えて腹が立ったものだった。
幼い頃に家族としてスノウを迎え、結婚して家を出るまで一緒に暮らしていた親父とだっていろんな時間を過ごしているだろう。
じいちゃんといい親父といい、華やかだったり派手だったりする趣味などはない公務員生活だった。そのささやかな楽しみが“おともだち”だったのなら、それを俺が取りあげてはいけない気がする。
それに、俺は自由のきく独り暮らしを気に入っている。俺は正直に言ってみた。
「俺なんかより親父のほうがオーナーに向いていると思うんですけど」
「遠慮するな、レイン」
親父が少し笑って言う。俺はまじめに言い返す。
「遠慮なんかしてないよ」
その時だった。
「夕べ、アップルパイを作っておいたのよ。みんなで食べない? 良かったら、モンデンキント社の方もいかがですか?」
母さんが笑顔を浮かべて口をはさんだ。
「やられた……」
俺は待合室で列車を待ちながらつぶやく。
アップルパイは絶品だった。もちろんティーンの頃のようには食べられないから小さめに切ってもらって、添えるバニラアイスも少しにしてもらった。母さんは調理ロボットの癖を研究して、自分が作るアップルパイを完璧に再現できるようにレシピを登録できた、と以前うれしそうに言っていた。気分が乗れば手作りすることもあると言う。そっちを食べたかったというのが本音だけど、調理ロボットはいい仕事をしていたし、疲れている母さんをキッチンで働かせることがいいことだとは思わない。
どうやって作ったにせよ、ああやってダイニングで家族そろって食べるアップルパイには魔法があるようだ。俺は23年前と同じように、まんまとそれに乗せられた、ということだ。
「やられた、って何が?」
隣りに座るスノウが首をかしげる。
「今のは独り言」
大人気(おとなげ)ないと思いながら俺は一言で終わらせる。
23年前のあの日も同じようにこの駅でニューヨーク行きの列車を待っていた。その時は見送りに来た家族みんなといっしょだった。
ハイスクールを卒業してニューヨークの演劇学校に行く、そう決めたときからその学費も生活費も俺は自分で稼ぐつもりだった。好きなことをやるからには、それが筋だと思っていた。でもじいちゃんも両親もそれを認めなかった。こうして思い返してみると、俺も青かったと思う。金をどうするかの話し合い(今思えば俺が一人で空回りしていたようなものかもしれないが)は夜更けまで続いた。その時も母さんは言った、アップルパイがあるからみんなで食べない?
温め直し、バニラアイスを添えたアップルパイの味は今でも覚えている。それは甘く、優しかった。食べ終わる頃には俺は気が進まないまま了承した、学費と生活費として、家からの仕送りを受け取ることを。
その決断は正しかったと今は思う。仕送りのおかげで俺は演技の勉強に集中することができ、アルバイトは最小限、演劇に関する仕事だけをして、その給料も戯曲を買ったり舞台を観に行ったりして勉強に充(あ)てた。その結果、2年目には特待生に選ばれ、授業料は免除された。そのことをじいちゃんたちに伝えることはとても誇らしかったし、その報せを喜んでもらえたことも嬉しかった。演劇人生で俺がまず恵まれたのは才能の前に周りの理解だ、そう思っている。
……で、今ここでどうやって周りの理解を得たものか。
隣りにいるユキヒョウはアップルパイの魔法で相続してしまったコンパニオン・アニマル・ロボットです、俺は俳優のレイン・アンダーソンですが、今はオフでここに居るのでそっとしておいてほしいです、そんなことをいちいち説いて回るわけにもいかない。リストレットのキーボードで作業をするわけでもないから、ゴーグルをかけるのも不自然だ。
通りすぎる人たちのほとんどがスノウを見て目を丸くする。振り返って二度見する。確かに、ユキヒョウ型のコンパニオン・アニマル・ロボットはめずらしい。そして、隣に座る俺を見て、ささやきあったり、頬を赤らめたりする。
「あの、レイン・アンダーソンさんですよね?」
……度胸のある奴は、こうやって話しかけてくる。俺はFtFCを学んだ者として礼儀正しく答える。
「そうです、こんにちは」
「こんにちは。舞台の配信、いつも観てます。いつかは劇場で生で観たいって思ってます。応援してます、握手してもらえますか?」
「ありがとう、俺で良ければ」
手を差し出して握手をすると、その青年は顔を赤くした。
「それ……って言っていいのかな、隣に座っているのは“おともだち”ですか?」
「まあそうです」
「すごいな、とっても似合ってます!」
俺はFtFCを学んだ者として控えめに、でも率直に伝えてみる。
「ありがとう、でも、移動中であんまり目立ちたくないんだ」
青年はまた赤くなった。
「そうか、そうですよね。それじゃ良い旅を! 応援してます!」
そう言って俺とスノウに手を振って立ち去った。さすがFtFCを学んでいるだけのことはある。
周り全員とは行かなくても、目の前の人間とささやかに理解し合い、短時間でも良好な関係を築くことは今の時代、そう困難なことではない。その事実は心を温める。問題は、隣に座っているコンパニオン・アニマル・ロボットをどう理解し、どう関係を築くか、だった。
ようやく一週間ぶりにアパートメントに帰りつき、俺はスーツケースをベッドルームに運び込んだ。足音も立てずにスノウがついてきていた。
「ぼくはこれからこの家で暮らすんだね。よろしくね、レイン」
きちんと床に座り、長い尻尾を体に寄せてスノウが言う。
「窓なら隣の部屋にある。日が入るから、好きなだけ充電すればいい。ドアは開けておく。それ以上の用があったら呼んでくれ」
俺はスーツケースを開け、中身をベッドの上に取り出しながら答える。
「……怒ってるの? ぼく、何か気に障るようなことを言った?」
気遣わしげな少年の声。本物のユキヒョウは人間の少年の声でしゃべらないだろうし、人間と同居もできないだろうし、人間と話をすることもないだろう。
「お前に合わせて言ってるだけ」
「合わせて、ってどういう意味?」
その声には何の邪気もなかった。俺はスノウをまっすぐに見て言い放った。
「お前はユキヒョウの身体のロボットでユキヒョウの芝居をしてる。人間の声で人間の友達の芝居をしてる。お前は、芝居をするAIだ」
それが、俺の理解だった。
(続く)