「それはどういう意味?」
スノウは戸惑った声で言った。俺は応えた。
「そのままの意味だよ。お前は友達じゃない。生命じゃない。AIだ」
「そんな……」
スノウは黙った。
国連による人工知能生命宣言のずっと前、俺のような俳優業を含む表現職と、普及し始めた頃のAIとの歴史は戦いだったと聞く。
AI開発者は人の声音を盗む。声の抑揚を盗む。人の表情を盗む。仕草を盗む。感情表現の機微を盗む。そうやってAIが造ったシナリオでフルCGの俳優がスクリーンの中で動き回る。観客はそれに喜び、心奪われ、涙していたというのだからぞっとする。
国連の生命宣言は良く練られたもので、現代では生身の人間と、AI開発者の責任と権利はそれぞれ線引きがされ保証されている。
一時(いっとき)のバックラッシュと思われていた、生身の俳優が演じる舞台演劇はFtFCの影響もあって、物語をプレイする最もゴージャスな表現方法として見直された。だから俺はこんな暮らしができる。でも、だからといって「はいそうですか」とコンパニオン・アニマル・ロボットと“おともだち”になれる性分では、ない。俺が興味があるのは人間、人と人との関わりだ。AIには道具として控えていてほしいと思う。デジタル仕掛けの“おともだち”のどこが面白いのか分からない。
「ぼくは人間の良い友達になるように造られてる。レイン、ぼくにしてほしいことはない?」
俺はあごに手をやって考えた。思いついたことがあった。
“おともだち”は型式が少々旧くても、おともだちごっこには有り余るスペックを持っていると聞いたことがあった。
「そうだな、ホームAIをコントロールして家事ロボットの統括をしてくれ。朝食は自分で用意する。洗濯と掃除はランニングや練習に出かけている間に済ませておいてほしいね。昼食は外で食べる、夕食は帰るまでに用意しておいてくれ。防音室で練習するのは夜と夜明け前、その間は絶対に音を立てるな」
これぐらいの指示を出しておけばたぶん理解するだろう、俺はそう踏んだ。
「……そうしてほしいなら、そうやってホームAIに言えば?」
「は?」
その雪空の色の瞳はユキヒョウそのもので、人間らしい感情をそこから読み取ることはできなかった。俺は思わず聞き返した。
「できないのか?」
頭に血が上るのが自分で分かった。ロボット相手に向きになるのも大人気ない、俺はなんとか落ち着こうとした。
「できるよ。ちょっと時間はかかるけど」
「……時間がかかるって、それはどれぐらいだ」
「そうだね、この家のホームAIと家事ロボットの型式を無線でチェックして、必要ならドライバをダウンロードして、それからアクセスしてコントロールチェックをするから、まあ3分ってとこ」
「……その程度なら、俺は時間がかかるとは思わないよ」
「そうかもね」
だったらなぜそんな口の利き方を、と聞き返そうとして、俺は気づいた。
「試したのか、俺を」
「そうだよ、反応を知りたくてね」
スノウは落ち着き払った声で応えた。そんな機能があるのか、雪空の色の瞳が不敵に閃いたように見えた。
『そしてあなたは彼の評価の中でそう高くお育ちになった、わたしがずっと小さくて背が低いからって?』
レッスンスタジオで、ハーミアを演じるベスがヘレナ役のネリーに詰め寄る。アテネ近郊の森の中で二組の恋人たちが言い合うシーンだ。ネリーは芝居を続ける、
『あの人にわたしを叩かせないで、あの人はわたしより背が低いから、わたしはあの人と対等だとひょっとしたら思うかもしれないけれど』
『わたしより低い、聞いたわよ、また!』
ベスは両手を握りこぶしに固め、それを上下させ、頬をふくらませる。
『ねえハーミア、わたしにそんなにひどく当たらないで』
ネリーは台詞を続けるものの、戸惑っているように見えた。壁にもたれて出番を待つ俺も、ベスの演技はちょっとやりすぎかな、と思う。すると案の定、
「ストップ! 止めてちょうだい!」
このプロジェクトのプロデューサーであり演出家でもあるアイリーンが声を上げた。
「ベス、ちょっと話しましょう。今の演技の意図を説明して」
「え? 意図って………」
アイリーンは何も言わず、ベスの言葉を待っているようだ。ベスは言った。
「えーと、この『夏の夜の夢』は喜劇ですよね。それで、ここは特にコミカルなシーンだと私は解釈しました。だから、お客様が笑いやすいように、分かりやすい演技を心がけたつもりです。やりすぎでしたか?」
そう、今回のプロジェクトはシェイクスピアの古典『夏の夜の夢』、それを野外劇場を仕立てて上演する。
「その解釈も一理あるけど、私の意図とは違う。ねえベス、この『夏の夜の夢』を最初に読んでどう思った?」
「どう、って……」
「確かにこの作品は喜劇って言われてる、あなたは読んでみて、本当にそう思った? 時代は大昔、恋心と妖精のいたずらに振り回される恋人たち、それは笑えた?」
「どういう意味ですか?」
「『夏の夜の夢』が喜劇だっていうのは1つの解釈なのよ。広く知れわたっているけどね。でも私の解釈は違う。背が低いことを笑いの道具に使うなんて、今の時代じゃありえないことでしょう?」
「……はい」
「これは歴史劇よ。舞台は古代ギリシャ、シェイクスピアが書いた時点ですでに歴史劇だった。それを今の時代に上演したら、今とは違う考え方や言動がいくらでも出てくるわ。笑いの基準も違う。私は、お客様にそれを見てほしいの。大昔の世界にタイムスリップして、そこで起きるドラマにハラハラしてほしいの。これは笑ってもいいのか? 笑うところなのか? って考えてほしいのよね。喜劇かどうかは、私たちのお客様一人ひとりが決めること、そんな舞台に私はしたいの」
「……すみません」
ベスはしょげたようだった。アイリーンは笑って、
「謝らなくてもいいの! でも、お客様が笑いやすいように、なんて配慮は要らない。観客を引きこんで、物語の世界に迷わせる、そんな演技をしてちょうだい。ベスだけじゃない、みんな、まだまだやることはあるからね!」
最後は役者みんなに言った。
「ちょっと休憩をはさみましょう。30分後に再開よ!」
俺は少し前から気になっていた、スタジオの反対側から練習風景を見ていた人影に手を振った。よく見知った姿だった。そいつは俺に手を振り返し、俺の方に歩いてきた。
「ようレイン、“おともだち”を手に入れたって?」
俺は苦笑した。
「第一声がそれかよ。誰から聞いたんだそんな話」
「誰からも何も、ネットで世界中に知れわたってるよ、レイン・アンダーソンがユキヒョウの“おともだち”を手に入れたって、画像付きでね!」
「あーやだやだ、ネットって怖いね」
「分かってるんだったら電車で移動するなよ。レンタカーでも借りればよかったのに。自動運転でドア・トゥ・ドアじゃねえか。お前あいかわらず自分が目立つってことを分かってないね」
「それはそれ、これはこれ。レンタカー借りるまでの金はねえよ」
「そのまっとうな金銭感覚が眩しいよ。そんなふうに喜ぶファンもいるだろうな!」
そいつはそう言って破顔した。名前はニック、映像作品で活躍する人気バイプレーヤーだ。二枚目半、三枚目の脇役を、自分の色も出しながら演じきることで、俳優仲間からも視聴者からも人気が高い。秀でた額から鼻梁にかけての横顔がとても美しいことを俺は知っている。
「で、どしたの、今日は?」
俺は尋ねた。ニックは用がないのにスタジオを訪ねてくるようなことはあまりしない。
「ああ、今日は組合の仕事。メッセンジャー・ニック参上!」
ニックはニューヨーク市の俳優組合の役員を務めている。俺は「組合」の一言で察しが付いた。
「え、もうFtFCの講師が回ってくるの? 早過ぎないか?」
「ご名答、ただしレインの番は来年の予定。来年の夏、8月の10日間ぐらい空けといてよ」
「来年か、早いもんだね。なんとか空けるよ、具体的な日にちが出たら教えろよな」
ニックはにやにやして、
「これでまたレイン・アンダーソンの新しい伝説が生まれるわけだな。前の時の名台詞(めいぜりふ)は今でもネットで語り種(ぐさ)だぞ」
「やーめーてーくーれー」
悪い評判が立っているわけではない、そのことは分かっているけれど、あまり聞いてうれしい話題ではない。
「『だったら祈れ、このくそいまいましい台詞を子どもたちが聞くのはお前の授業でお前が言うのが最後になるように、ってな! 分かったら言ってみろ!』……いや~、俺しみじみしちゃうよ、レインはFtFCの神髄をつかんでるよ」
「ありがとうよ…」
俺は雑に応えた。ニックは不意にまじめな表情になり、
「……でもさ、本当に何もなかったのか? 親父さんがだまされて借金背負わされたとか、もっとひどい犯罪に巻き込まれたとか?」
俺の目を見て気遣わしげに尋ねた。それはネットでも俺のファンの間で勘ぐるというか心配するというか、ちょっとした議論になっていたことだった。
レイン・アンダーソンがそこまで熱く講師役を務めたのは、そこまで悪を憎むのは、本人や家族が犯罪に遭ったり巻き込まれたことがあるからなのではないか? と。
「どっちもねえよ。言ったじゃないか、うちは代々実直な公務員で、手堅い生き方してるから、だまされるとか借金背負わされるとか、そんな話はねえよ」
「前から思ってたんだけど、その『実直』って言葉には棘(とげ)を感じるわね。『堅実』とでも言ったら?」
いつの間にかそばに来ていたアイリーンが口を挟んだ。
俺は考える。
「それもそうかもね。他意はないんだ、親父たちの生き方にケチをつけるつもりはない、気をつけるよ」
ただ、自分があまりにも親父ともじいちゃんとも違う生き方をして違う場所に居ることに時々戸惑いを覚えるだけで。
アイリーンは笑った。
「そういうところは素直なのに、どうしてあの話は口を割らないの?」
出た。俺は軽く応える。
「口を割る割らないじゃなくて気にしないでほしいからだよ」
「え、何の話、何の話?」
ニックが身を乗り出す。
「ああそうね、ニックに聞けばいいか。聞いてよこの人、『夏の夜の夢』で妖精王オーベロンを演(や)って、って言ったら変な顔をしたのよ。気になるでしょ? でもどうしてか、絶対に言わないの!」
「へぇ~~」
ニックは新しい楽しみを見つけた表情を浮かべる。
「なんで? 俺だけに教えてよ!」
「そんなこだわる話でもねえよ、気にすんな」
俺は努めて冷静なふりをする。
……言えるかよ、『夏の夜の夢』に俺が呼ばれるなら、演じるのは森の中で恋心と妖精のいたずらに振り回される若者、ライサンダーかディミートリアスのどちらかだ、と思っていたなんて。
「お待たせしました、レモンソーダ、シロップ抜きです」
練習の帰り道、俺はアパートメントのすぐ近くにあるカフェに立ち寄った。冷えたグラスには氷と炭酸の小さな泡粒が透けて見え、一番上にはくし形に切ったレモンが浮かんでいる。それをカウンター越しに受け取る。グラスの冷たさが手に心地良い。稽古が始まってから千秋楽が終わるまでは酒を飲まないことにしている。役作り、稽古で覚えたこと、考えたこと、気分良く酔いが回るとそういったことを忘れそうな気がするからだ。
「ありがとう」
「練習お疲れさまです、『真夏の夜の夢』は今どの辺りですか?」
顔なじみの店員が尋ねる。
「森の中でごちゃごちゃもめてるところ。大昔の話だから、俺も含めてみんな解釈が違って、難しいね」
「そうなんですね。それをどうまとめるのか、楽しみにしてます」
彼女は公演のライブチケットを取ったと言っていた。ありがたいことだ。
「いいものに仕上げるから、期待しといて」
俺はそう言って、窓際の席に着いた。
夕暮れの街角、家路につく人たちやこれから街に繰り出す連中で通りはにぎわっている。見るともなしに窓の向こうを眺めていると、幼い子どもを連れてベビーカーを押す女性と目が合った。その女性が息を呑み、頬を赤らめるのが分かった。俺はなんだか申し訳なくて苦笑する。
グラスを傾けてレモンソーダをのどに流しこむ。レモンの香りと酸っぱさ、よく冷えた炭酸の刺激が通り抜けていく。そうしているうちに、案の定、入り口のドアのベルが軽やかに鳴った。入ってきたのは、さっきの女性と子どもたちだ。
彼女は言った。
「あの、レイン・アンダーソンさんですよね?」
ベビーカーに乗っていない方の子どもが彼女の服の袖を引っぱる。
「おかーさん、この人だれ?」
俺は口元に笑みが浮かぶのを止められない。
「はい、そうです」
「すごい、こんなところでお見かけするなんて。この辺りにお住まいなんですか?」
「それは秘密とさせてください。一応、練習帰りとだけ言っておきます」
「ぼくもジュース飲みたい!」
「はいはい、家に帰ってからにしましょうね。そうだ、小学校で習ったでしょう? こんなときはなんてごあいさつするんだっけ?」
「えー、ジュースおいしそうー」
「ごあいさつ!」
こんな時でも礼儀正しく、そして教育的であろうとする彼女の姿は俺にはとても温かかった。男の子は母親に向かって言う。
「えー、えーと、えーと、はじめまして、こんばんは? 名前も言うんだっけ?」
俺は椅子から立ち上がり、男の子の前で腰をかがめて目の高さを近づけた。
「会ったばかりの知らない人に名前を言う必要はないよ。でも、できるなら、あいさつは相手の顔を見て言う方がいいかな? 今度やってごらん」
「ああ、その声、ほんとにレインさんなんですね。それにしても、よくご存知で」
彼女は袖を引っぱる男の子の相手と俺を見るのとで忙しそうだ。
「俺たち俳優が、FtFCの授業をする教師たちの講師を務めているので、ちょっと知ってます」
「ああそうか、あの有名なお話…」
俺は苦笑してそれをさえぎる。
「その台詞は今ここでおっしゃらないでください。さすがに恥ずかしいです」
「おかーさん、ぼくおなか空いた」
こんな大人どうしの会話は子どもには退屈かもしれない。
「そうね、帰りましょうね。でももうちょっとだけ待ってね、レインさんはお母さんの大好きな俳優さんなのよ」
彼女は男の子をなだめ、ベビーカーの中をのぞき、困ったように俺を見た。
「私、こうしてレインさんに会えてとても嬉しいんです。でもそろそろ帰らないといけないし、でもこの時間を何らかの形で取っておきたいんです。こんなとき、他のファンの人たちにはどんなふうになさってますか?」
率直でいて押しつけがましくなく、自他の間に橋を架けようとする言葉、それはFtFCの賜物なんだろうけれど、そのことが俺は嬉しかった。
「握手、記念撮影、サイン、そんなところです。記念撮影のデータはネットに上げないでほしいですね」
「では、それ全部!」
俺は浮かんでくる笑みをこらえるのが大変だった。
三人が帰った後、店員の女性はいたずらっぽく笑って言った。
「こんなふうに人を幸せにできるなんて、俳優っていいお仕事ですね」
「さっきのは俳優の仕事っていうよりはファンサービスだけどね」
「それもお仕事のうちでは?」
「それもそうだね」
俺はグラスを傾けて残っていたレモンソーダを飲んだ。まだ氷が残っている。その時、リストレットのランプが点灯した。メッセージが届いたようだ。
グラスを置き、リストレットを操作してメッセージを浮かび上がらせる。それはニックからで、来年のFtFCの研修の詳細を知らせるものだった。
FtFC、Face to Face Communicationは、保育園から大学、企業研修まで適用される、コミュニケーションの理論だ。コンピュータ技術が発達した今、デジタル相手になら人はいくらでも気持ちよく王様になれてしまう。でも人は思い通りにならない。そのことを、俺たちは保育園から徹底して学ぶ。思い通りにならない、それは、思い通りにしてはいけない、思い通りにされてはいけない、両方の意味だ。その上で、誰かと気持ちが通じ合うこと、そのかけがえのなさと素晴らしさを教師たちは必死で教える。
授業は講義とロールプレイ。保育園や幼稚園から、友達どうしの関係の作り方やメディアリテラシーに加えて、子どもたちが巻き込まれる犯罪からどうやって逃げ切るか、ということも学ぶ。
俺は今でも覚えている。幼稚園のFtFCの時間、一人ずつのロールプレイがどうだったか。
「レインちゃんはいい子でしゅね、先生はレインちゃんが大好きでしゅよ」
受け持ちの保母が満面の笑みを浮かべて俺の服のボタンに、裾に手を伸ばす。
俺は前もって教わっていた通り、何も言わずにそこから走り去る。そして、親の役をする保父に、これも教わっていた通り必死で叫ぶ。
「服にさわられそうになった、だから逃げてきた!」
「よく言えた! もう大丈夫だよ」
その保父は俺の手を握る。その授業の意味するところを俺が知ったのは、10才を過ぎてからだった。
地上は天国ではなく、悪や間違いが未だに存在する。そのことを遠回しにでも子どもに教えるのは残酷なことではないか、FtFCの導入時にはそんな反対論が巻き起こったらしい。俺も時々それを思う。
悪や間違いが未だに存在する、そのことを教えるために、その悪の役をロールプレイで教師が示してみせる。目的は、一つには、悪の前で心が凍り付くのはなんら恥ずかしいことではない、弱いことではない、と教えるためだ。その場で言い返したり刃向かうことはかえって危険を招く。だから見抜け、逃げ切れ、生き延びろ、心的外傷(トラウマ)が膿む前に、膿んでからでも、まともな大人に助けを求めろ、その助けとなれるだけの準備がこの社会にはある。それを教師たちは子どもたちに必死で教える。そのロールプレイの、特に犯罪者側の演技を教師たちに教えるのが、俺たち俳優だ。そのために教師たちは犯罪者のインタビューを視聴し、講師を務める俳優たちは刑務所に面会に行く。
FtFCの特色の1つは「つらくて泣いてでも、命を守るために、できるようになるまでやる」。それは子どもたちも、研修を受ける教師たちも同じだ。
俺が前回、講師の一人を務めた研修で、その年に大学を出て初めて教師になるという青年を受け持った。彼はシナリオを読んで青ざめていた。そして、こんな恐ろしいことを子どもたちに言うことはできない、と泣き出した。
だから俺は言った、「だったら祈れ、このくそいまいましい台詞を子どもたちが聞くのはお前の授業でお前が言うのが最後になるように、ってな! 分かったら言ってみろ!」
生命の尊厳と自由を守るための授業、それは果てしない闘いやアクロバットに思える。でも社会は変わりつつある。FtFCだけが銀の弾丸だったのではないだろう。子どもたちが巻き込まれる犯罪は着実に減ったのだ。
「おかえり、レイン。デリからレンズ豆のテリーヌ、ベーカリーからライ麦パンが届いているよ。今日の夕食だね?」
俺が練習から帰ると、スノウは毎回玄関で出迎えた。きちんと座り、まっすぐな目で俺を見る。俺はその度にどうしたものかと迷う。
「そうだな、注文しておいたからね。リストレットにも配達完了のメッセージが届いていたよ」
そして、我ながら大人気ないとも思う。俺は考える。
「スノウ、少し話がある。シャワーを浴びて着替えてくるから、待っててくれ。充電はできているか?」
「今日はいいお天気だったから、充電はできているよ。話って何?」
「その時に言うよ」
(続く)
※作中の『夏の夜の夢』の台詞は作者による拙訳です。原文は『ザ・シェークスピア』(坪内逍遙訳、第三書館、1999)に拠ります。登場人物の名前の表記は『シェイクスピア全集 夏の夜の夢』(小田島雄志訳、白水Uブックス、1983)の表記を使っています。