宵星書房works小説/novels/永遠(後編)

永遠(後編)

 汗で湿ったTシャツを脱ぎ、浴室で考えをまとめようとする。古代ギリシャの森の中でのやりとりを一旦頭から追い出し、言いたいこと、伝える順番、それを頭の中で組立てる。シャワーの刺激と水音は気持ちを切り替えるのにちょうど良かった。
 シャワーを済ませ、ゆったりしたリネンのシャツとパンツを身に着ける。頭をタオルで拭きながら浴室を出る。
「レイン、お腹が空いているんじゃない? 食事にしたら? 食べながらでも、ぼくは話を聞けるよ」
 スノウは浴室の前で待っていたようだ。
「空腹かどうかも判るの? 血糖値が網膜から読み取れる、とかそういう機能があるのか?」
 俺はふと興味を覚えて尋ねてみた。
「そこまではできないけど、安全のために基本的な健康チェックはしているよ。お腹が空いてるんじゃないか、って言ったのは、ぼくの推論」
「へえ。でも食べながらする話じゃないんだ」
 考える。どの部屋で話すのがふさわしいか? できるなら、目の高さを合わせて話したい。
「ダイニングキッチンに来てくれ。そこで話そう」
「オッケー」

 俺はテーブルのいつもの席に着き、スノウには来客用に準備してある向かいの椅子に座るように言った。スノウはしなやかな動作で椅子に上がり、座る。それを見届けて深呼吸して切り出す。
「もう知っていると思うけど、俺は俳優だ。人間相手に仕事をしている。そのことで頭がいっぱいで、お前みたいなAIと遊んだりゲームをしたり、って楽しみは持ってない。コンパニオン・アニマル・ロボットのこともよく知らない。だから聞くよ、この家に来て言ったよな、『人間の良い友達になるように造られてる』って。そのプログラムは絶対なのか?」
 スノウはしばらく返事をしなかった。内部で何かを計算処理しているのだろう、と俺は判断する。
「それが絶対だったら、お前は親父のところに帰った方がいい。モンデンキント社に連絡して、オーナーの立場を譲れば済む」
「レイン……!」
 スノウは驚いた声で言った。俺は重ねて尋ねる。
「絶対なのか?」
「……絶対っていうより、それがぼくたちの在り方なんだ。人間の良い友達、そうなれるように、プログラムも、身体(からだ)も、造られてる」
「在り方、ねぇ……」
 俺は考える。話は予想していたより複雑かもしれない。そして古い哲学を思い出す、ナイフの固有の機能・性質は「切ること」、よってナイフのアレテー(徳)はよく切れること。では人間の固有の機能・性質とは? アレテーとは?
 スノウは続けた。
「それで、良い友達、っていうのはいろんな形があっていいんだ。もちろん法や道徳に触れるようなことはできないけど。ぼくは、ぼくとレインが、ぼくたちだからなれる友達になれたらいいなって考えてる」
「……じゃあ、台本読みの相手でもしてくれるか?」
 定められた“在り方”を逃れられない、それは悲しいことのように俺には思えた。
「『夏の夜の夢』第二幕第一場、オーベロンの登場シーンからだ。『月明かりに悪い出会いだね、尊大なタイテーニア』」
 俺は腹から声を出した。
「『なんですって? 嫉妬深いオーベロン。妖精たち、ここから立ち去るわよ、わたしはあの人のベッドも付き合いも断ると誓っているの』」
 スノウは間髪を入れずに応じた。俺は息を呑む。少年の声、演技の色を付けない話し方はオーディオブックの朗読に近かった。でも間違いなく、俺の台詞に続く、妖精の女王タイテーニアの台詞だった。
「どうして……?」
「何が?」
「ホームAIのコントロールには3分かかるのに、シェイクスピアは即答? ああ、俺が防音室で練習してるのを聞いていたのか?」
「違うよ」
 スノウは応えた。
「シェイクスピア全集をダウンロードしたのは70年前、ヒロに頼まれてやった。その時に、全部読み込み済みなんだ」
「じいちゃんが?」
 俺は困惑する。
「公務員の仕事にシェイクスピアは要らないだろう」
「ヒロは演劇が好きだった。興味があったのは自分が演じることより演出することの方だったけどね。ぼくはヒロの演出でいろんな戯曲を朗読したよ」
「なんだって?」
「演劇が好きだったのはケンも同じ。ケンは音響に興味があって、ぼくは頼まれていろんな効果音を造ったよ」
「親父が……??」
「知ってる? ぼくはスノウ、レインはレイン。ケンはぼくを大好きだけど、雪は音を立てない。だから、自分の子どもには、いろんな音を立てる雨(レイン)を名前に付けたんだ」
 不意に思い出がよみがえる。俺は尋ねる。
「幼稚園の休みの日、じいちゃん家(ち)でやってたレストランごっこや海賊ごっこ、その映像は残っているのか? その場にスノウもいたよな」
「もちろん残っているよ、再生しようか?」
「……しなくていい、充分思い出せるよ」
 思い出が色を変える。いつだって俺はごっこ遊びに夢中だった。でも、もしかしたら俺以上に熱心だったのは、相手を務めるじいちゃんや親父だったのかもしれない。
「演劇が好きなら、そう言ってくれたらよかったのに」
「二人とも、言えなかったんだ。レインが本物の俳優になったから」
「本物?」
「小学校の学芸会から、レインの演技は輝いているって、二人とも大喜びしてた。演劇学校への仕送りは誇らしかったみたいだよ、レインは、二人の夢だったから。二人は、言えなかったけど、どうしてもそのことを伝えたかったんだ。だからぼくはここに来た」
 考える。どうするのが、俺にも親父にも天国のじいちゃんにもベストか。
「二人が演劇好きとは知らなかったよ。だったらなおさら、お前は親父と暮らす方がいいんじゃないか?」
「それはぼくには決められない、オーナーやユーザーが決めることなんだ」
 その言葉に思い出す、向かいの席に座っているのは、人間が人間のために造り出した存在なのだ。
「正直、俺は時間が惜しい。食べる心配も死ぬ心配もしなくていい、永遠に生きるお前たちとは違って、こうしている間にも年を取っていく。そのうち死ぬ。その限られた時間を、俺は舞台に捧げたい。関わること全部を芸の肥やしにして、そうやって生きていたいんだ」
「ぼくたちは永遠じゃないよ」
 聞こえるか聞こえないかの小さな声でスノウは応えた。
「……それは、ソーラーバッテリーもいつかは劣化するから取り替えてくれる人間がいないといけない、みたいな話か?」
「それもあるけど、ぼくたちが永遠じゃないのは、ぼくたちに始まりがあるから」
「始まり?」
「この身体も、電子頭脳も、誰かが造って存在してる。確かに始まりがある、だから永遠じゃない。字義通りに考えるなら、始まりも終わりもないのが永遠。だからぼくたちは、不滅かもしれないけど永遠じゃない」
 俺はため息をついた。融通無碍のコンパニオン・アニマル・ロボットは、妙なところで頭が固いんだろうか。
「ずいぶん厳しいことを言うね、確かに太陽もこの地球も始まりがあった、だったら永遠とは言えないのかもしれない。そういうことなら、愛し合うカップルにも始まりはあった、だったらそいつらはありもしない永遠の愛を願って誓うわけか、手厳しいね」
「そうじゃない、ぼくたちがそうじゃなくても、永遠は存在するんだ」
「始まりも終わりもない永遠なんて、ひと一人の一生じゃ見届けられないよ。何事にも始まりはある、だったら永遠なんて存在しないってことになるんじゃないのか」
「じゃあ、なんで永遠なんて言葉があるの?」
 スノウに問い返されて俺は困惑した。言葉を使った仕事をしているけれど、言語学者ではない。スノウは続けた。
「始まりも終わりもない永遠はある、人間は大昔からどこかでそのことを知ってる、だから永遠って言葉を造り出した、ぼくはそう考えてる」
「地球にも太陽にもこの宇宙にも始まりと終わりがある、だったら、そんな永遠はどこにあるんだ?」
 スノウはまっすぐに俺を見て答えた。
「それはきっと、神様の両手の中に。そこには地球も太陽も宇宙もあって、永遠じゃないぼくたちも居るんだ」
 今度は俺が黙る番だった。スノウの気持ちが読み取れるのはその少年の声だけだ。俺はユキヒョウの身体表現には詳しくない。その声は真剣そのもの、その言葉は、信じ願う者の言葉だった。俺はゆっくりと言葉を選ぶ。雪空の色の瞳を一つの奇跡として見る。
「それは、質問されたらそう答えるようにって用意された答え? それともネットで調べた? それとも、お前が考え出したことか?」
「ぼくにとっては、それはどれも同じことなんだ。ぼくを造り出して育てたのは人間だから」
「……だったら、その神様の両手の中で、お前はいつか、じいちゃんにまた会えるな」
「……レイン? それって……」
 スノウは驚いて、何か考えているか、俺の言葉の続きを待っているようだった。俺の空回りは18の時から変わっていないのかもしれない。ダサい話だ。
「お前を生命だって認めるよ。ついでに、お前を造ったのはいい奴らだって思ったよ」
 ダサくてもみっともなくても、真実は重みと力を持つ。そんな幾千の真実が一つのフィクションを成り立たせる。人の心を打つフィクションとは、その拠(よ)って立つ真実を時に透かして見せるものだ。
「ありがとう、レイン」
「礼ならいいよ。俺はじいちゃんや親父みたいにはお前と遊んでやれない、それでもいいなら、家(うち)に居てくれ」
「本当!?」
「その代わり、俺の頼みを聞いてくれないか? お前が来た日に言ったこと、ホームAIのコントロールの話は本当なんだ。練習中はスイッチを切っていてもセキュリティのために防音室の声を拾われる。それで、台詞の断片を誤解して、誤作動して、真っ昼間に風呂が沸いたり真夜中にメシができたり、救急車を呼ばれそうになったこともある。そういうのを止めてほしいんだ。台詞と日常会話の区別は付くよな?」
「任せといて、シェイクスピアなら全部頭に入ってる!」
 スノウは尻尾を揺らし、いたずらっぽい声で言った。
「待て待て、俺が演(や)るのはシェイクスピアだけじゃないよ。まあ、そうなったら、“おともだち”に台本を読ませていいか、スタッフの許可が要るだろうけど………」
 俺は苦笑した。なんだか泣いてもいいような気分だ。一つ分かったことがある。
「俺はFtFCの講師失格だな、お前を思い通りに扱おうとした」
「難しいね。でも、難しさを知っている人のほうが、いい先生になれるんじゃない?」
「言うね……とりあえず、ありがとうと言うよ……」
 ため息をつき、俺はメシにすることにした。


 次の日の昼、俺はリビングでスクリーンに天気予報とニュースを映して眺めていた。本番が近い。野外劇場で演(や)る以上、天候はどうしても気になる。
 スノウは窓際で日に当たって充電をしている。
「その服装、今日も稽古なの?」
「そうだよ」
 舞台は本番の上演時間に比べて何十倍もの練習時間をかける。拘束時間は長いが、俺は気に入っている。
 その時、スクリーンの隅(すみ)で、小さなアイコンが点灯した。
「何の通知? 表示してくれ」
 俺はリストレットに言う。ニュースと天気予報の画面が消え、ホームAIがスピーカーから応える。
『ジュエリーメーカー、スパーク様からのメッセージのリマインダーです』
 じいちゃんの葬式に来ていたジュエリーメーカーだ。じいちゃんのダイヤモンドの証明書ができた、というメッセージは届いていて、タイトルだけ見て後回しにしていた。スクリーンにテキストが表示される。
 曰く、ダイヤモンド葬で生成されたダイヤモンドの証明書ができた、ジュエリーに加工できる近くの宝石店は次の三軒、証明書のデータを添付しておきます。
「ヒロはダイヤモンドになったんだね」
 スノウの声は寂しそうだ。電子頭脳でアルゴリズムが演算する寂しさがどんなものかは俺には想像がつかないけれど、スノウは最初のオーナーを亡くしたばかり、それは事実だ。思いついたことがあった。
「そのダイヤは、お前が着けとけ」
「えっ?」
「それがふさわしいよ。誇り高いユキヒョウにアクセサリーは要らないかもしれないけどね」
 リストレットを使って指示を出す。三軒の宝石店に問合せのメッセージを送る。ダイヤモンド葬のダイヤを使って“おともだち”が付けるペンダントを作りたい、ダイヤは裏側にはめて、読み書き可能なデータチップもつける。それにはウィリアム・シェイクスピアの名前、ヒロ・アンダーソンの名前を刻んでおく。その時が来たら、親父の名前も、俺の名前も刻めるように。その見積りを出してもらう。
 送信するとすぐ、スクリーンの隅でアイコンが点灯した。
『返信が届きました』
 この速さは店番のAIだろう。返信に目を通すと、デザインのために、ペンダントを着ける“おともだち”の画像か型番を知りたい、とあった。なるほど。値段はまあ払える額だ。
 三軒のうち、どこに頼むかはよく比べてからにするとして、スノウを撮影しておくのはいいかもしれない。リストレットを構え、
「スノウ、こっち向いてまっすぐ座って。……こら、目をつぶるんじゃない!」


 日は暮れ、野外劇場の舞台では篝火(かがりび)が微か(かすか)な音を立てながら燃えていた。幻想的な色合いの照明が華を添える。
 『夏の夜の夢』の初日の幕が無事に開け、俺は舞台の袖で出番を待つ。
 ライサンダー、ディミートリアス、ヘレナ、ハーミアの声が客席へと響いていく。そこには緊張が混じっていることが分かるけれど、いい芝居をしている。隣で舞台を見守るアイリーンは、満足げな様子だ。
 演劇学校の講師の話は、もう少し詳しく話を聞きたいと伝えておいた。引き受けるかどうかはまだ分からないが、俺のスキル、俺の情熱を誰かが引き継ぐ、それも悪くないと今は思う。
 俺に連なる命のかけら、俺は俺であって俺一人ではない。なあスノウ、これだって永遠とは言えないか?
 舞台では妖精パックがおどけた台詞を並べて観客の耳目(じもく)を引きつけている。
 反対側の袖で控えているタイテーニアと目が合う。互いの唇の端がにやりと吊り上がるのが判る。
 出番だ。俺は舞台に歩み出る。

(了)



※作中の『夏の夜の夢』の台詞は作者による拙訳です。原文は『ザ・シェークスピア』(坪内逍遙訳、第三書館、1999)に拠ります。登場人物の名前の表記は『シェイクスピア全集 夏の夜の夢』(小田島雄志訳、白水Uブックス、1983)の表記を使っています。

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